多文化共生は理念で終わらせない——教室で起きている現実

こんなこと、感じたことはありませんか?
- 多文化共生は大切だとわかっているが、現場では余裕がない
- 理解しようとするほど、指導が難しくなっている気がする
- 「配慮しすぎでは」と言われ、戸惑いを抱えている
もしかしたら、あなたも今、そんな気持ちかもしれません。
多文化共生は理念として語られる一方、教室では「きれいごと」に見えてしまう場面があります。
その背景には、先生方の忙しさや責任の重さ、そして子どもを何とか支えたいという真剣さがあります。
わたしは長年、多くの先生方の相談に向き合ってきました。
多文化の子どもを前に悩む先生は、決して少数ではありません。
この記事では、「配慮が足りない」のでも「指導力不足」でもない、別の視点を提示します。
多文化共生を理念で終わらせず、教室で現実的に活かすための考え方です。
読み終えたとき、子どもの見え方と、あなた自身の肩の力が少し変わるかもしれません。
結論はシンプルです。
多文化共生は、特別な努力ではなく、見方の転換から始まります。
1.Point:多文化共生は「わかろうとする姿勢」から始まる
結論からお伝えします。
多文化共生の教室でいちばん大切なのは、すべてを理解することではありません。
子どもの行動や反応を、能力や態度の問題として即断せず、「文化の前提が違うのかもしれない」と立ち止まる姿勢です。
多文化共生は、特別な教材や高度な専門知識がなければ実践できないものではありません。
日々の指導の中で、見え方を少し変えることから始まります。
理解されない子どもがいる教室では、先生自身も理解されにくい立場に置かれがちです。
だからこそ、教師がひとりで抱え込まない視点が必要だと思います。
多文化共生は、教師と子ども双方を守る考え方でもあります。
2.Reason:なぜ多文化共生は「きれいごと」に感じられてしまうのか
多文化共生という言葉は、研修や文書の中ではよく登場します。
一方、教室に戻ると、時間割は詰まり、評価や保護者対応に追われ、余裕はほとんどありません。
その中で文化的配慮を意識し続けるのは、正直しんどいと感じるのが自然です。
さらに、日本の学校には「察する文化」「空気を読む力」が前提としてあります。
並ぶ、黙る、目を合わせる、周囲に合わせる。
多くの先生が言語化せずに共有してきた暗黙のルールです。
しかし、異なる文化で育った子どもにとって、その前提は存在しない場合があります。
そのズレが起きたとき、子どもの行動は「指示を聞かない」「落ち着きがない」「やる気がない」と評価されやすくなります。
先生としては、学級を守るために指導せざるを得ません。
ただ、指導しても改善しないとき、先生は自分を責め始めます。
「指導が甘いのでは」「配慮しすぎなのでは」と。
わたしは、カウンセリングやコーチングの中で、そうやって自信を失っていく先生方を何人も見てきました。
問題は、先生の力量ではありません。
文化の前提が異なる状況で、従来の指導モデルが機能しにくくなっているだけです。
多文化共生が「きれいごと」に見えるのは、理想と現実のギャップを、先生個人の努力で埋めようとしてしまうからです。
3.Example:理解されない子どもが、少しずつ見えてきた場面
ある小学校の先生の話です。
外国にルーツをもつ男の子が、授業中に頻繁に席を立ち、注意しても行動が変わらない状況でした。
若手の先生は、「自分の指導が届いていない」と悩み続けていました。
面談の中で、わたしは行動の意味を一緒に整理しました。
すると、その子どもにとって「わからないときは立って聞きに行く」ことが、家庭では自然な行動だったことがわかりました。
座って黙っていることは、むしろ失礼にあたる文化でした。
そこで先生は、席を立つこと自体を禁止するのではなく、「今は聞く時間」「質問はこのタイミング」と具体的に示しました。
同時に、「わからないときに動こうとする姿勢は大切」と言葉にして伝えました。
すると、子どもの行動は落ち着いていきました。
先生は後にこう話してくれました。
「注意の仕方を変えただけで、関係が楽になった」と。
別の中学校では、保護者対応に疲れ切っていた主任の先生がいました。
文化的背景の違いから、学校への要望が強く、要求的に感じられていました。
話を丁寧に聞く中で、その背景には「学校に任せきれない不安」があることが見えてきました。
主任の先生は、すべてを受け入れるのではなく、「学校でできること」「家庭でお願いしたいこと」を整理し、明確に伝えました。
結果として、保護者との関係は安定し、先生自身の消耗も減りました。
多文化共生とは、相手に合わせ続けることではありません。
違いを前提に、境界線を言葉にすることです。
4.Point:見方を変えることで、指導は現実的になる
多文化共生の視点は、先生を縛るものではありません。
「わからない行動」を「理解できる行動」に変換するレンズです。
意識してみてほしいポイントがあります。
- 行動を評価する前に、背景を仮説として考える
- 暗黙のルールを、言葉で示してみる
- 配慮と甘さを切り分ける
- ひとりで抱えず、チームで共有する
すべてを完璧に行う必要はありません。
一つ視点が増えるだけで、教室の緊張感は変わります。
まとめ
多文化共生は、遠い理想ではありません。
教室で「理解されない」と感じる瞬間に、少し立ち止まることから始まります。
子どもを理解しきれない日があっても構いません。
先生自身が揺れながら考えている姿こそ、共生の土台になります。
先生方の毎日は、本当に尊いものだとわたしは思います。
わたしも、いつも道半ばです。
一緒に考え続けていけたら嬉しいです。

